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1874年製のランドマーク。

春本番を迎えた御前崎。これから初夏に向かってこの地域は本格的なレジャーシーズンを迎えます。
御前崎の観光スポットといえば、まず「御前埼灯台」を思い出す人も多いのではないでしょうか。
今回の「シズモノ」は、歴史的建築物としても御前崎を代表する御前崎のランドマーク「御前埼灯台」です。
明治7年5月1日に点灯を開始した御前埼灯台は、明治5年5月から英国人リチャード・ヘンリー・ブラントンの指導のもと、2年の歳月をかけ建設されました。 当時は、フランスのソーター・ハーレー社製の回転式一等閃光レンズ(高さ259cm)を国内で初めて搭載し、遠州灘を航行する船の道標として活躍しました。 しかし昭和20年7月、第二次世界大戦(太平洋戦争)中の艦載機と艦砲射撃により一等閃光レンズと灯器、回転機械が破壊されてしまいました。 昭和24年、戦後の戦災復旧工事により、現在の三等大型の2面レンズ(高さ157cm)が搭載され、昭和58年には灯塔の外壁に耐震補強工事が行われ、今日に至っています。
西は愛知県の伊良湖岬から、浜名湖を挟み御前崎まで延びる遠州灘は、
「遠州のからっ風」と呼ばれる強い西風と荒々しい波の海域です。
また御前崎沖は、駿河湾の潮流と遠州灘(太平洋)の黒潮が激しくぶつかる独特の海流と、遠浅に分布する暗礁により、座礁事故の多い海域としても船乗りや漁師から恐れられていました。
寛永12年(1635年)に徳川幕府が、現在の御前埼灯台の近くに当時の灯台
「見尾火灯明堂(みおびとうみょうどう)」を立てました。
開国した明治時代には海外の諸外国との貿易が盛んになる中で、各国との約束として各地の灯台建設が行われることとなったのです。
外国からの灯台建設の要望を受けた明治政府は、当時高い灯台技術を有したイギリスにその指導を仰く形で、イギリス人のリチャード・ヘンリー・ブラントンをリーダーにしたイギリス灯台技術団を招聘しました。
ブラントンたちの高度な灯台技術と厳格な職場規律は、当時の灯台建設計画を推進すると共に、その後の日本の灯台技術の礎として受け継がれました。
その功績からブラントンは「日本の灯台の父」と呼ばれています。
御前埼灯台は、全国14基ある「のぼることができる灯台」の1基です。全高は約22M、岬の高さを含む海面から灯火までの高さは約54Mになります。
御前埼灯台の踊り場の回廊からは、その高さからの雄大な大海原を眼前に臨めることができます。 また、御前崎は灯台下の岬を囲むように県道357号が整備されています。西は尾高海岸からサンロード、東は御前崎グランドホテルを越えた辺りから、高台にそびえる御前埼灯台の姿をさまざまな角度から楽しめます。 約140年の歴史を持つ御前埼灯台。これからも静岡県最南端の岬の灯台として、多くの人の心に光り続けることでしょう。